京都検定3級合格を目指して、京都について勉強をしています。京都検定に興味を持ったのは、昨年通訳ガイドとしてデビューしたことから。私は大阪在住ですが、はやり通訳ガイドのお仕事はほとんどが京都。今までももちろん京都に行ったことも添乗員として案内したこともありましたが、いざガイドとして京都を案内しようとすると京都のことを何も知らない!
ということで京都についてもっと知りたいと思った時に知ったのが京都検定でした。京都検定3級の問題は90%以上が公式テキストブック「京都・観光文化検定試験公式テキスト 新版」から出るのですが、この1冊だけでもものすごい範囲。とりあえず問題を問いていくのが一番の勉強方法と思っています。
京都検定の過去問は京都新聞ですべて公開されていますが、日々少しずつ勉強したい場合は京都新聞の「きょうの京都検定ミニチャレンジ」に挑戦するのがおすすめ。
京都検定の2級と3級の過去問題が1日1問ずつ出題されます(利用するには京都新聞ID<無料>が必要)。毎日午前0時に更新されるので是非挑戦してみてくださいね!
5月16日のきょうの京都検定ミニチャレンジ 3級
平野神社は花の名所ですが、花山天皇がお手植えされた逸話も残る神紋の花は?
選択肢は
A : 萩
B: 桔梗
C: 桜
D: 牡丹
答えは、A:の桜です。
それでは、なぜ桜が神紋なのかみていくよ!
花山天皇の歴史
花山天皇は日本の第65代天皇で冷泉天皇の第一皇子として968年に生まれました。わずか10ヶ月で皇太子に立てられ、17歳で即位しましたが、その治世はわずか2年足らずでした。花山天皇の時代、藤原義懐と藤原惟成が政治を担当し、様々な改革を試みましたが、他の有力貴族たちとの対立により政局は混乱していたのです。
花山天皇は治世中には、藤原為光の娘・藤原忯子を深く愛し、彼女を女御に迎えました。しかし、藤原忯子が17歳で亡くなり、そのショックと藤原兼家の策略にもより花山天皇は出家を決意しました。986年、19歳で剃髪し仏門に入り、退位しました。
出家後の花山法皇は、播磨国の圓教寺や比叡山で修行を積み、法力を身につけました。また、「西国三十三所巡礼」を始め、各地で観音霊場を巡礼しています。この巡礼は現在でも続いており、彼の詠んだ和歌が各霊場で唱えられています。
晩年は摂津国の東光山に隠棲し、1008年に崩御しました。花山天皇は、その芸術的才能や独特の発想で知られ、多くの逸話が残されていますが、その一方で、政治的には困難な時期を経験しました。
花山天皇と平野神社の繋がり
平野神社には花山天皇がお手植えしたと言われている桜が残っています。現在は、花山天皇が後胤繁栄(こういんはんえい)を祈って桜を植えたのと同じ4月10日に桜花祭が行われています。
桜花祭では、すぐ近くの花山天皇陵に参拝し、舞楽「東遊び」が奉納されます。その後、神幸列発興祭が執り行われ、そして約4kmに渡り時代行列が練り歩きます。そこでは、赤鬼や青鬼、騎馬、花山車、織姫、稚児などを見ることができます。神官は烏帽子に桜のかんざしをつけて参加します。
平野神社で見られる桜の種類
平野神社は平安遷都と同じ794年に建てられたのですが、花山天皇の勅命により桜が有名となり、その境内には生命力を高める神様の象徴として公家たちが献上した桜が次々と植えられました。江戸時代には夜桜の名所として知られるようにもなりました。
現在、境内全域には約60種類400本の桜が植えられています。 3月上旬から開花する「桃桜」をはじめ、春のお彼岸のころには特に有名な「魁桜」を見ることができます。 そして4月下旬まで、ソメイヨシノのほか、珍しい種類の桜が次々と開花します。
花山天皇ゆかりの平野神社では桜が有名
大河ドラマ『光る君へ』にも出てきた花山天皇ですが、平野神社と深いかかわりがあったのですね。花山天皇が桜をお手植えされたということで、平野神社は桜の名所として知られることになりました。
春にはぜひ珍しい桜を見に平野神社を訪れてみたいものですね。
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