南座の歴史と幕府に公許された京都の芝居小屋の変遷:今日の京都検定 - ぱんだららの旅と節約と通訳ガイドを目指すブログ

南座の歴史と幕府に公許された京都の芝居小屋の変遷:今日の京都検定

Today's Kyoto test通訳ガイド
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今日の京都検定の問題について解説するよ!

京都検定3級合格を目指して、京都について勉強をしています。
京都検定に興味を持ったのは、昨年通訳ガイドとしてデビューしたことから。私は大阪在住ですが、はやり通訳ガイドのお仕事はほとんどが京都。今までももちろん京都に行ったことも添乗員として案内したこともありましたが、いざガイドとして京都を案内しようとすると京都のことを何も知らない!

ということで京都についてもっと知りたいと思った時に知ったのが京都検定でした。京都検定3級の問題は90%以上が公式テキストブック「京都・観光文化検定試験公式テキスト 新版」から出るのですが、この1冊だけでもものすごい範囲。とりあえず問題を問いていくのが一番の勉強方法と思っています。

京都検定の過去問は京都新聞ですべて公開されていますが、日々少しずつ勉強したい場合は京都新聞の「きょうの京都検定ミニチャレンジ」に挑戦するのがおすすめ。

京都検定の2級と3級の過去問題が1日1問ずつ出題されます(利用するには京都新聞ID<無料>が必要)。毎日午前0時に更新されるので是非挑戦してみてくださいね!

5月15日のきょうの京都検定ミニチャレンジ 3級

幕府から公許された7つの櫓のうち1893年に廃絶した京の芝居小屋は?

幕府から公許された7つの櫓のうち1893年に廃絶した京の芝居小屋は?

幕府から公許された7つの櫓のうち1893年に廃絶した京の芝居小屋は?

現在も京都唯一の歌舞伎劇場として存続しているのは南座

選択肢にはありませんが、江戸幕府が公認した常設芝居小屋として外せないのが南座(みなみざ)です。京都府京都市東山区にある歴史ある劇場で、現在は松竹が経営しており、桃山風のデザインを取り入れた4階建ての建物は、国の登録有形文化財に指定されています。

当時、四条河原には七つの芝居小屋がありましたが、火事や興行の中心が大阪に移ったことで次第に減少しました。現在の南座はその中で唯一残った劇場です。

1906年に松竹に買収され、1913年に大改築が行われました。1929年には再び建て替えられ、鉄骨鉄筋コンクリート造の建物となりました。1991年に改修工事が行われ、最新設備を備えた劇場として新装開場しましたが、2015年からの耐震診断で基準を満たしていないことが判明し、一時休館となりました。その後、最新技術を用いた耐震補強工事が行われ、2018年に再び開場しました。

南座は、歌舞伎の発祥地とされる場所でもあり、400年以上の歴史と伝統を持つ劇場です。毎年11月から12月には「吉例顔見世興行」という京都の風物詩が行われ、多くの観客が訪れます。また、歌舞伎以外にも演劇やコンサートなど様々な公演が行われています。伝統を守りながらも新しい挑戦を続ける南座は、今後も多くの人々に愛され続けることでしょう。

ア:北座 ⇒ 正解

北座は江戸時代中期に江戸幕府から許可された市場河原付近の7つの芝居小屋の1つで、南座と共に明治時代中期まで残っていましたが、四条通の拡張に伴い閉鎖されました。跡地の北座ビルには井筒八つ橋ん本舗が建っています。

イ:祇園座 ⇒ 不正解

祇園座は香川県にある芝居小屋で、その歴史は1800年初めの文化年間に始まります。徳島で藍染めの仕事をしていた下谷の若者たちが、習った芝居を地元の氏神の祭礼で演じたことがきっかけでした。地元の大地主である須田利吉朗が支援し、「下谷若連中」という座名で本拠を阿弥陀堂に置きました。

芝居は次第に近隣の村々でも知られるようになり、農村の慰安や娯楽として人気を博しました。昭和20年頃までが最も盛んで、地域の多くの家々が参加しました。昭和15年頃に地元の祇園山にちなんで「祇園座」と改名され、現在でも約5代目の人たちがその伝統を守り続けています。

ウ:四条道場芝居 ⇒ 不正解

四條道場芝居とは、京都にある時宗の金蓮寺の旧敷地内で行われていた芝居です。この場所は、豊臣秀吉の時代から発展した花遊小路に位置しています。

時宗の開祖、一遍上人が広めた「踊り念仏」が基となり、庶民に親しまれました。江戸中期には金蓮寺を含む多くの寺院が、度重なる火災や経済的困難から境内に芝居小屋を設け、収益を図るようになりました。四條道場芝居はその一つとして親しまれ、京都の歓楽街の一部として栄えました。

エ:京都座 ⇒ 不正解

京都座と呼ばれる場所は特にありません。

まとめ:南座は幕府が許可した7つの芝居小屋の中で唯一存続している建物

江戸時代初期に成立した歌舞伎。庶民の人気を得た演劇で女歌舞伎や遊女歌舞伎、若衆歌舞伎が盛んになったものの風俗取り締まりを理由に幕府から禁止されました。

成年男子による野郎歌舞伎のみが幕府の許可を受け、幕府から公許された市場河原の七カ所でのみ歌舞伎の上演が可能となりました。幕末には四条通を隔てた北座と南座のみとなりましたが、明治26年(1893年)には北座も廃絶し、南座は今では京都唯一の歌舞伎劇場となりました。

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