楠木正成ゆかりの観心寺!”新”日本遺産、中世に出逢える町~河内長野~ | いつかは素敵な通訳ガイド

楠木正成ゆかりの観心寺!”新”日本遺産、中世に出逢える町~河内長野~

観心寺と楠木正成観光地&歴史の偉人
シルビー
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色々な日本遺産について知りたいわね

ペッチー
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色々あるけど、今回は中世の時代に栄えた、大阪の河内長野を紹介するよ!楠木正成ゆかりの観心寺があるところだね!

令和元年、『中世に出逢えるまち~千年にわたり譲られてきた中世文化遺産の宝庫~』が 76番目の日本遺産に登録されました!  
日本遺産(Japan Heritage)とは、文化庁が地域活性化の推進を目的として認定した、 際立った歴史的特徴・特色がある魅力的な有形・無形の様々な文化財群です。  

平成27年度から始まり、令和元年末までに、83の文化財群が 日本遺産に登録されています。  
今回は、そんな、日本遺産の1つ、楠木正成ゆかりの観心寺や、天野山金剛寺、 高野街道など、1000年以上の歴史がある 中世文化のまち、河内長野に行ってきました。  

日本遺産のまち、中世の時代に栄えた河内長野

河内長野市ってどこにあるの?

© OpenStreetMap contributors

中世の時代に発展した河内長野市、どこにあるのでしょうか。
大阪府の南に位置し、ちょうど京と高野山を結ぶ街道の中間地にあります。
ちなみに、コロナの対応で、一躍全国で有名になった、 大阪府の吉村知事(2020年6月現在)の出身地ですね。  

山に囲まれた、緑いっぱいののどかな田園都市ですが、 近鉄電車と南海電車が走っていて、観光中心地なんばから30分程で到着します。  

高野街道を歩いてみよう

河内長野市には4つの街道が合流しており、そのため古くから 宿場町と栄えてきました。  
特に、河内長野市から和歌山県橋本市の間にある高野街道は 京・大阪から高野山への参詣道として多くの人でにぎわい、 駅から少し歩いたところには、昔ながらの酒蔵などをみることができます。  

現在は、景観を守るための「高野街道~いにしえのみち復活プロジェクト~」が 進められており、無電柱化や石畳舗装が進んでいます。  

河内長野市は中世に出逢えまち~千年にわたり護られてきた中世文化遺産の宝庫~ 作成:河内長野市役所  

楠木正成ゆかりの寺、檜尾山観心寺

日本遺産に登録されたのは、観心寺、天野山金剛寺の2大寺院ですが、 今回は観心寺をご案内します。 大阪府で最も古いお寺で、弘法大師空海様の真言宗の道場ともなった場所です。

駐車場では早速,楠公がお出迎え

  駐車場からすぐのところに、山門をくぐります。 本来はすぐ、左手側の受付で拝観料を支払いますが、今は訪れる方もほとんど いないようで、受付にも誰もいらっしゃらず、ボックスに各自で支払います  

楠木正成とはいったい誰?

観心寺は楠木正成にとってもゆかりのあるお寺なのですが、 じゃあ一体、楠木正成って誰だったっけ?、と少し振り返っておきましょう。  
「なんか歴史に出てくる強い武将じゃなかったっけ?」 「それなら、戦国時代に活躍した人?!」  

いいえ、違います~!!
恥ずかしながら、私自身もそんな感じでよく分かっていなかったので、 なんとなく名前くらいしか知らない、って人も多いかと思います。  
楠木正成は鎌倉時代末期に活躍した武将なのです。 同じ時代を生きた有名人は、はい、足利尊氏!!
征夷大将軍であり、京都で幕府を開いた、初代の室町幕府将軍ですね。  

鎌倉幕府を倒すのに一躍買う!

  それでは、なぜ、鎌倉幕府が終わって、室町幕府がはじまったのでしょう?
元々、京にある朝廷に対して、源頼朝が関東に開いた鎌倉幕府は 武士の力が強かったのです。
しかし、元寇などの攻撃もあり、すっかり 力が弱ってしまっていました。  
その時、鎌倉幕府を倒して、政権を取り返そうとしたのが、時の帝、後醍醐天皇! 新田義貞や足利尊氏と手を組んで、鎌倉幕府を滅亡へと追いやります。  

  • 新田貞義・・・鎌倉で得宗北条高時および北条一門を襲い、自害させる
  • 足利尊氏・・・鎌倉幕府の京の拠点である六波羅探題を制圧

 この時に、一緒に幕府を倒すために戦ったのが、楠木正成なんですね。
元々、楠木正成は鎌倉幕府の言うことを聞かず、幕府から「悪党」と呼ばれていました。
※悪党とは、幕府や荘園領主からみて、反幕府的・反体制的行為をとる者  

楠木正成が拠点としていたのが、河内長野市に近い、河内赤坂城でした。
今の千早赤阪村にあります(現在の大阪府で唯一の村!)  

鎌倉幕府軍が楠木正成を倒そうと、数万の兵で赤坂城を包囲したことがあるのですが、 奇想天外な策略を使い、わずか500ほどの兵で、反対に大きな損害を幕府軍に 与えたのでした。  

さて、幕府軍からは悪党と呼ばれていたものの、後醍醐天皇にとっては 楠木正成は忠臣でした。

戦いに勝った後醍醐天皇が京に戻る時は、7000の兵と共に入洛しています。
そして、後醍醐天皇の建武の新政下においては、最高政務機関の記録所において 仕事を与えられていました。  

建武の新政の失敗後

このように、後醍醐天皇が建武政権を立ち上げたまでは良かったのですが、 残念ながら、この政策が急進的で朝廷中心だったため、たちまち武士たちからの 反感を買ってしまいます。  
特に、鎌倉幕府を倒すために、あれほど頑張ったはずの足利尊氏は 重職に就くことができませんでした。  

そのため、たった2年で建武の新政は崩壊してしまいます。
楠木正成と足利尊氏は敵同士となり、京都ではいったん正成が勝って 尊氏は九州へと逃げてますが、すぐに、勢力を盛り返し、 京都に再び攻め込んできました。  

尊氏の能力を知っていた正成は、後醍醐天皇に「新田義貞とは手を切って、 足利尊氏と組みましょうよ」と提言するのですが、 天皇は全く聞く耳を持ちません。  
勝てる見込みはないと知っていても、正成は最後まで後醍醐天皇を 裏切ることはできませんでした。

負けを覚悟し、湊川の合戦(今の兵庫県)に赴いた正成は そこで、1336年5月25日に自害しています。   もっと詳しく知りたい方はこちら↓↓↓

楠木正成の本

 楠木正成が生きた時代は、戦国時代や幕末のようにはあまり 知られていないのですが、とっても面白い時代の1つでもあります!  
現在、大河ドラマの候補に向けて、署名活動が行われていますので 興味を持たれた方は、是非署名活動に参加してくださいね。  

「楠木公さんを大河ドラマに」署名活動はここから

楠木正成を大河ドラマの主人公に

観心寺の境内を歩いてみましょう

さて、観心寺へと戻りましょう。 山門を入るとすぐ前に、長い階段が見えてきます。  

その左手側には、楠木正成が朱子学を学んでいた学問所あとが。  

  コロナの影響もあり、また雨ということもあって、今日は他に誰も見当たりません とっても静かです。

お参りの前には、手水で清めていきましょう。  

  金堂(国宝)が見えてきました。  

  お願いごとをしてから、金堂に入ります。

国宝の如意輪観音菩薩様

さて、ここ観心寺は、毎年4月17日と18日は、たいへん大勢の人で にぎわいます。  
皆さまの目的は、国宝の如意輪観音菩薩様!!
とっても優しくて穏やかで、眺めているとほんわかしてくる観音様です。  
秘仏なのですが、年にこの2日のみ、御開帳が実施されます。 (残念ながら2020年はコロナの影響で、御開帳の参拝は控えていたようです)  

 如意輪観音様が作成されたのは9世紀ごろ。
木造の上に乾漆を盛り上げて細部を作るため、肌の柔らかさが美しく 表現されています。
密教像の典型で、腕が6本あるのが特徴です。

秘仏であったために、今も彩色や文様が綺麗に残っているのですね。  
観心寺の如意輪観音様は、もしかすると、通訳案内士試験の 日本史に出題される可能性がありますので、要チェックですよ!  

楠木正成が建てようとした「建掛塔(たてかけのとう)」

金堂を建てたのも、実は楠木正成なのですが、もう1つ 三重塔を建てようとしていました。  

しかし、湊川で戦死してしまったため、その塔は、建掛塔として 今も残っています。
そのままの名前ですね。
1階部分だけでもとても大きいので、完成していたら とても素晴らしい塔になっていたのでは、と推測されます。  

建掛塔は1972年に重要文化財に指定されています。 初層しか完成していなかったので、かやぶきの屋根をかぶせて、 それがそのまま今も残っていると言われています。

建掛塔
建掛塔の細かい細工

  奥には、楠木正成の首塚も。

楠木正成の首塚

星塚めぐり

弘法大師空海様が、如意輪観音様のまわりに北斗七星の塚を配置したと 言われています。  
ここを一巡すると一年の厄除けになると言われていますので、 時間があればぜひ周ってみましょう。  

北斗の塩を手にいれよう

  観心寺へ行ったら、是非買って帰ってもらいたいのが「北斗の塩」。
この塩は、特別に1つずつ御祈祷されたもので、基本的にはお守りと同じように 使用するものだそうです。  

もちろん、食用としても使用できますが、神仏へのお供え、清め塩・盛り塩、 または小分けにしてお守りとして使うことができます。  
1kg1,000円、もしくは300g500円で販売されています。 他にも、瓶に入ったものや、盛り塩セットとして販売されているものもありますよ。  

河内長野で宿泊しよう

河内長野までは、なんばから約30分で到着することができますが、 ゆっくり巡るなら、ぜひ宿泊しましょう。  
私が今回、滞在したのは「河内長野荘」。
河内長野駅から歩いても行けますが、送迎バスも出ています。
天然温泉も湧いているので、とってもゆっくり出来ました!  

  天然温泉 河内長野荘

まとめ

河内長野と観心寺、いかがでしたでしょうか。

日本遺産に登録されたのを機に、一度訪れてみてはいかがですか。  
楠木正成が生きた中世の時代が楽しめるとともに、自然豊かな環境の中で のんびりと過ごすことができますよ。    

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