剣術ってカッコ良いわよね!歴史上で、有名な人はいる?
うん、そうだね!剣豪の柳生十兵衛は聞いたことある?
柳生一族のふるさと、奈良にある柳生の里を紹介するよ♪
柳生十兵衛と柳生一族の隠れ里『柳生の里』
日本の剣豪と言えば宮本武蔵が有名ですが、他にも柳生十兵衛の名を聞いたことがある人は多いのではないでしょうか。
十兵衛の祖父の宗厳の時代より、柳生新陰流を継いできた柳生一族が、ひっそりと暮らしていた「柳生の里」は奈良市内からバスで約1時間の山里の奥にあります。
今もなお、当時の雰囲気が味わえる柳生の隠れ里を訪れてきました。
柳生十兵衛が使っていた柳生新陰流とは
柳生の地で派生した剣の流儀は柳生新陰流と呼ばれ、戦国時代に生まれた柳生宗厳(石舟斎)が生み出しています。
親交のあった、新陰流の上泉信綱から「無刀取り」という、自分も相手も傷つけることなく相手を制す技を伝授された宗厳は、徳川家康の前で、その技を披露しました。
乱世を終わらせ、平和を求めた天下人家康にとって、これこそが待望していた流儀であると、家康は石舟斎に入門します。
石舟斎は、兵法指南役になり、将軍家御流儀としてその地位を確立しました。
この流儀は息子の宗矩(むねのり)、そして十兵衛へと伝承されていきます。
剣豪であった柳生十兵衛
柳生十兵衛は13歳で、徳川家光の小姓となり、2年後には兵法指南役になりました。
しかし、20歳の頃、家光と仲たがいし、小田原に送られた後、10年以上故郷の柳生の里でひっそりと暮らし、剣の腕を磨いていたようです。
柳生十兵衛と言えば、故郷の柳生で過ごしたという説以外にも、諸国をまわって武者修行や山賊征伐をしていたという話もあります。
逸話も多く残っており、柳生庄で道場を開き、全国から1万3500人もに及ぶ門弟を育てたという話や、京都の粟田口では数十人の盗賊を相手にし、12人を切り捨て追い散らした、といった話もあります。
柳生十兵衛の逸話は、今でも、多くの小説や映画で取り上げられていますね。
若いころに失明したと言われており、片目に眼帯をした姿が有名です。
32歳の頃から、再び家光に使えるようになり、この頃、謹慎していた12年間の記録を載せた『月之抄(つきのしょう)』を書いています。
父の宗矩が亡くなると、家督を継ぎ、柳生庄に戻って静かに暮らしていたようですが、44歳の時に鷹狩に出た際に急死してしまいました。
さて、それでは、柳生一族が暮らしていた、柳生の里を紹介しましょう。
柳生十兵衛のふるさと、柳生は刀作りの名産地でもある
大和の国と呼ばれていた現在の奈良県は、日本刀の一番古い生産地とされています。
特に柳生地区は、1000年以上の、刀づくりの長い歴史があります。
中でも、柳生拵(やぎゅうこしらえ)と呼ばれる剣は、大きく透かしの入った軽量なつばや、刀の柄を刀身に固着させる釘とそれを覆う金具を通常の位置と逆に付ける『逆目貫(めぬき)』が特徴の、柳生らしい雰囲気のある剣です。
柳生日本刀鍛錬道場
柳生地区には、刀鍛冶が今も多くいらっしゃって、その仕事場を見せてもらうことができます。
そのうちの1つ、江住有俊さんの工房である【柳生日本刀鍛錬道場】に行ってきました。
砂鉄から製鉄する「たたら製鉄」。
日本でも数少ない古来より続いている、大和伝という日本刀を手打ちで製作されています。
目の前で飛び散る火花!すごい迫力がありますよ!
柳生十兵衛が使っていた刀の名前は「三池典太」
刀づくりの名所、柳生で生まれ育った柳生十兵衛が使っていた刀はどんな刀だったのでしょうか。柳生十兵衛の持った愛刀は「三池典太(みいけてんた)」と言われる日本5大名刀の1つです。三池典太の鍛冶場があったのは福岡県の大牟田の辺りと言われていますが、どんな経緯で柳生十兵衛が三池典太を持つようになったのかは不明です。
柳生石舟斎の伝説が残る柳生一刀石
芳徳寺の東南にある場所には、柳生一刀石があります。ここには、柳生石舟斎が天狗と試合中に一刀両断に断ち切ったという伝説が残っていて、柳生新陰流が誕生した謎の岩ともいわれています。
中央から真っ二つに割れた巨石は、アニメ『鬼滅の刃』で出てきた一場面を思い起こしますね!
柳生家の菩提寺 『神護山芳徳寺』
柳生宗矩が父の宗厳の菩提を弔うために、親交のあった沢庵和尚を開山として建立した柳生家の菩提寺が『神護山芳徳寺』。
山上にあるので登っていくのには大変ですが、お寺からは柳生の里の素晴らしい景観を一望できます。
本堂には、本尊釈迦三尊像とともに、沢庵和尚坐像と宗矩坐像が安置されています。
また、隣接する資料館には、柳生一族に関する資料が展示されているので、歴史好きの方にはとても魅力的です。柳生十兵衛の家系図も見られるので楽しいですね。
境内はとても静かで心が癒されます。
芳徳寺の裏の墓地には、柳生十兵衛を含む、柳生一族代々の墓が80基並んでいますよ。
柳生十兵衛が弟子を鍛えたと言われる正木坂剣禅道場
芳徳寺を出て、少し坂を下ったところに、柳生十兵衛が延べ約一万人ともいわれる弟子を鍛えたと伝えられる、正木坂道場の名を受け継ぐ剣道場があります。
今でも実際に使われている剣道場で、合気道や剣道の練習に世界中から人々が訪れるとのこと。
剣道に座禅の心を取り入れた柳生新陰流の精神「剣禅一如」に通じる道場で、昭和40年、当時の住職・橋本定芳氏の尽力により建立されました。
屋根や柱などは、もとは興福寺別当一乗条院にあった奈良地方裁判所の屋根部分と柱を移築し、玄関部分は京都所司代の玄関口を移設し新調された道場です。
地元ならではの食事を楽しめる柳生茶屋でゆっくりしていこう
柳生の里には、地元ならではの名産物が楽しめる食事処もいくつかあります。
歩き疲れたら、少し一服していきましょう。
大きな傘が目につく【柳生茶屋】は都市農村・観光交流拠点として飲食店、着地型のツアー、ワークショップを実施しています。
※柳生茶屋の営業は土・日・祝のみですが、団体予約は平日も受け付けています。
まとめ:柳生十兵衛のふるさと柳生の里
柳生十兵衛と柳生一族のふるさと、柳生の里はいかがでしたでしょうか。
奈良から少し離れていますが、自然いっぱいの、のどかな場所で心が癒されること間違いなしです。
剣豪 柳生十兵衛とその一族が暮らしていた場所。今もなお、その当時の姿を思い起こさせる、どこか懐かしいこの里を訪れてみてはいかがでしょうか。
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