近松門左衛門の代表作『曽根崎心中』の舞台がある大阪のお初天神へ | いつかは素敵な通訳ガイド

近松門左衛門の代表作『曽根崎心中』の舞台がある大阪のお初天神へ

近松門左衛門と曽根崎心中観光地&歴史の偉人
近松門左衛門と曽根崎心中
シルビー
シルビー

梅田駅周辺で、歩いて行ける歴史的に有名な場所はないかしら?

ペッチー
ペッチー

それなら、お初天神を紹介しよう!ここは、元禄文化の中心人物、近松門左衛門が『曽根崎心中』を書く際に、舞台とした場所だよ。

せっかく梅田まで来たので、どこか歴史的に有名な場所を訪れてみようと、あなたは考えていませんか。

それなら、お初天神がおススメです。
ここは、近松門左衛門の代表作『曽根崎心中』の舞台(2018年度の通訳案内士試験の日本史の問題にも出ましたね)。

ここでは、お初天神の案内と共に、近松門左衛門やその作品、また元禄文化についてまとめています。

大阪に行った際は、ぜひお初天神に足を運んで、歴史の勉強の参考にしてくださいね。

お初天神ってどんな神社

お初天神はどこにあるの

お初天神までは、JR大阪駅から徒歩約5~10分です。
※大阪と梅田は同じです。鉄道会社によって、大阪駅・梅田駅といいます。

近いのは近いのですが、梅田駅周辺はかなりややこしく、初めての時は迷いやすいので、出来るだけ分かりやすい道から行きましょう。

行き方の例(雨の日や暑い日はなるべく地下から第4ビルまで行くのがおススメ):

① JR大阪駅(南口)を出る
② 前のバスロータリーを左へ進み、横断歩道を渡った後、前にある階段を上る
③ 歩道橋を阪神百貨店側へすすみ、店には入らず左側の通路を歩いていく
④ 突きあたりにあるエスカレーターを降り、そのまま大通り沿いにまっすぐ歩く
  右側に第4ビルが見える(FORUM4と書かれた建物)
⑤ 左側に横断歩道が出てきたら、大通りを渡る(正面に鯛焼き本舗が見える)
⑥ 鯛焼き本舗の右側の通路を入ると、すぐアーケードの下に出るので、そのまま
  アーケード下を抜けるとすぐ右に神社の入り口

© OpenStreetMap contributors

お初天神について

正式名称は、露天神社といいます。
名前の由来は、菅原道真が筑紫の国へ左遷される途中で、参拝に立ち寄られた時に、『露と散る涙に袖は朽ちにけり 都のことを思い出ずれば』と詠まれたことから、とされています(諸説あり)。

そのため、御祭神には、天照皇大神、豊受姫大神、少彦奈大神、大己貴大神と並んで、菅原道真公のお名前も入っています。
また、境内には、道真公のお使いの牛が祀られ、『神牛さん』『撫で牛さん』と親しまれているんですよ。

1703年には、実際に心中事件があったそうですが、その事件を題材に近松門左衛門がヒロイン『お初』の曽根崎心中を書いたため、通称で『お初天神』と呼ばれるようになったのですね。

お初天神の境内

今や、『恋人の聖地』、『縁結びの神社』とされているだけに、神社の境内の中には、曽根崎心中を題材にした多くのものがあります。

お初と徳兵衛の物語のパネル

曽根崎心中のあらすじが書かれたパネルが、可愛らしい絵と一緒に書かれています。

先に読んでから行くと、なお興味深く参拝が出来るかもしれませんね

曽根崎心中 お初と徳兵衛の物語のあらすじ

恋のおまいりグッズ

縁結びのお守りなど、お初と徳兵衛にちなんだグッズもたくさん販売されています。

絵馬はハート型など4種類あって、恋の成就や永遠の愛を願う方が多いですね。美人祈願の絵馬もありますよ。

・えんむすびお守り ペア
・鈴が付いたストラップ/ハート型の翡翠ストラップ
・匂い袋
・水晶のブレスレット

お初天神通り 入口
出典:Harrieさんによる写真ACからの写真 

曽根崎お初天神通り商店街

せっかくなので、お初天神のお参りの後は、お初天神通り商店街を通って帰りましょう。
多くの飲食店などで、いつも賑わっています。
神社入り口のすぐ前にあったアーケードが、その通りです。

大阪 梅田 お初天神通り
出典:mechaさんによる写真ACからの写真 

この商店街は、お初天神の境内にあった飲食店が、戦後そのまま食堂街となり広がっていきました。
当時のお店が、そのまま現在も営業しているところもありますよ。

では、次は、露天神社を有名にした近松門左衛門について書いていきます。

近松門左衛門とその作品

元禄文化の文学

近松門左衛門が活躍したのは、江戸時代の中期、徳川綱吉が将軍だった元禄時代(1688年から1704年の16年間)と呼ばれている頃です。
その為、この頃発達した文化のことを、元禄文化と呼びます。

ちなみに、後ほど文化・文政時代(1804-1831)に発展する文化を化政文化と呼びますが、元禄文化とよく比べられるので、違いをチェックしておきましょう。

元禄文化は、上方(京都・大阪)の豪商や町人を中心に広まったという特徴があります。
文芸や芸能では、小説、俳諧、俳文、脚本、浄瑠璃、歌舞伎といったものが発達しました。

文芸・芸能 作者・芸者    作品名
小説        井原西鶴      好色一代男

      日本永代蔵
俳諧  松尾芭蕉      蕉風
俳文  松尾芭蕉      奥の細道
脚本  近松門左衛門      曽根崎心中
浮世絵  菱川師宣      見返り美人図
浄瑠璃       竹本義太夫
歌舞伎       坂田藤十郎
  市川団十郎
元禄文化の代表的作者・芸者とその作品

人形浄瑠璃と曽根崎心中

曽根崎心中は、近松門左衛門が書いた人形浄瑠璃脚本です。

元々、浄瑠璃とは、室町時代以降発展したもので、口で話をして聞かせる、ということだったのですが、この『語り』に三味線の伴奏がつき、やがて人形劇と結び付いて人形浄瑠璃となりました。

人形浄瑠璃
出典:丸岡ジョーさんによる写真ACからの写真 

人形浄瑠璃(現在は文楽と言われています)には、いくつも流派があるのですが、その中でも一番人気だったのが、竹本義太夫でした。
その話を聞いた、近松門左衛門は、竹本義太夫の為に『出世景清』を書き、この作品が大ヒットを収めます。

その後、近松門左衛門は、歌舞伎のための狂言を書いたりして、浄瑠璃の脚本を書くことから離れていたのですが、1703年に起きた心中事件を題材に、『曽根崎心中』の脚本を書いたところ、またもや大人気となったわけです。

近松門左衛門の代表作品

曽根崎心中以外にも、近松門左衛門は多くの傑作を生み出しています。

その中から、特に有名な作品を挙げておきます。

心中天網島(しんじゅう てんの あみじま)

1720年に初演された、三部構成の世話物のお話です。

当時、庶民の日常の話題を扱ったものを世話物、反対に、日常からかけ離れた話題のものが、時代物と呼ばれました。

心中天網島は、大阪天満に住んでいた商人治兵衛と、遊女の小春との恋物語です。
この作品も、最後は心中してしまうのですね。

国姓爺合戦(こくせんやかっせん)

1715年に初演された、五部構成の浄瑠璃の脚本で、後に歌舞伎でも演じられています。

日本人と中国人のハーフで、中国明代の軍人、政治家鄭成功(てい せいこう)を題材に取った時代物です。
鄭成功は、清の国に滅ぼされようとしている明王朝と共に抵抗運動を続け、台湾に渡って、新しい政権を樹立したことで、台湾では民族的英雄と称えられている人です。

女殺油地獄(おんなころし あぶらのじごく)

1721年に初演された、三部作の世話物です。

大阪天満の油屋の義理の息子、与兵衛は店のお金を持ちだして遊女と遊んでばかりいる放浪者。
ついに勘当され、与兵衛は借金をしますが、返すことが出来ず、仲の良かったお吉にお金をせびります。しかし、断られたのでお吉を惨殺。

お吉の三十五日の供養に出席していたところ、天井のネズミが借金の証拠の紙を落とし、それが証拠となって与兵衛は捕まりました。

まとめ

近松門左衛門と曽根崎心中、いかがでしたでしょうか。

歴史・文化と深い係わりのある場所が、大阪駅からすぐのところにあったのですね。
大阪に行った際には、ぜひ立ち寄ってみてください。

また、江戸時代の文化(元禄文化・化政文化)は、日本史の試験でもよく取り上げられています。これを機に、覚えてくださいね。

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