フェッラーラの人気観光スポットランキングTOP5【イタリアの世界遺産】 - ぱんだららの旅と節約と通訳ガイドを目指すブログ

フェッラーラの人気観光スポットランキングTOP5【イタリアの世界遺産】

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イタリアの世界遺産の数は、2023年時点で58あり、世界一!そんな世界遺産の中から、今回はエミリア・ロマーニャ州にあるフェッラーラの町を紹介します。ポー川の流域に広がるこの町にはベネチアからフィレンツェへ向かう途中で立ち寄りが可能です。

フェッラーラの町は、14世紀にこの地を治めたエステ家によって整備されました。そのため、その頃栄えていたルネサンス期の美しい建物が多くみられ、エステンス城を中心にエステ家関連の建物を見ることができます。

イタリア・フェッラーラの町はどこにあるの

フェッラーラは、イタリア北部のエミリア・ロマーニャ州あり、州都のボローニャまでは約40分、ベネチアまで約1時間20分、フェレンツェまで約1時間50分で、とても観光しやすい場所に位置しています。

イタリアを横断するツアーでも、ベネチアからフィレンツェに向かう途中で立ち寄ることが出来るので、とても便利ですね。1時間程で町の中心地を見てまわることができます。

フェッラーラの町が栄えた理由:ルネサンス期に栄えたエステ家の繁栄

元々、ポー川流域の肥沃なデルタ地帯を利用して、町として栄えていたフェッラーラには、7~8世紀頃には初の大聖堂が建てられています、また、ヴェネツィアやフィレンツェといった都市に近かったこともあり、貿易の要としても発展していたのです。

フェッラーラの町が1番栄えたのは14世紀ごろ。12世紀頃から北イタリアで圧倒的な支配力を持っていたエステ家が14世紀に教皇からフェッラーラ公に命ぜられてフェッラーラ公国が成立します。

15世紀のエルコレ1世の時代には特に繁栄し、13kmに渡る城壁が拡張されました。また、サン・ジョルジョ大聖堂とエステ家の居城、エステンセ城を中心に町が整備されました。暮らしやすい理想都市を目指して整備されたフェッラーラは、初のルネサンス都市として知られています。特徴としては、個々の建物より全体の調和が重視され、高さがそろった街並みが完成しました。

エステンス城の前に置かれている大砲。エステ家の紋章が描かれています。

フェッラーラの町が世界遺産に登録された理由

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フェッラーラが世界文化遺産に登録されたのは1995年で、正式名称は、『フェッラーラ:ルネサンス期の市街とポー川デルタ地帯』(Ferrara, City of the Renaissance, and its Po Delta)です。 1999年には、北東部の田園地帯であるディアマンティーナも拡大されました。

世界遺産に登録されたのは、西洋美術史において重要な役割を果たした文化的遺産を有する都市ということがその理由でした。文化的遺産の中には、初期ルネサンス芳樹のテラコッタ装飾が施された宮殿や邸宅など、フェッラーラを治めてきたエステ家が所有していたものが多く含まれています。

フェッラーラのランドマーク、エステンス城

エステンス城は、エステ家のニッコロ2世が1385年に建設を開始した城塞で、15世紀にエルコレ1世建築家のロセッティに依頼して公爵家の宮殿として改修しました。16世紀には、アルフォンソ1世・2世が画家ティツィアーノやドッソ・ドッシ、彫刻家アントニオ・ロンバルドらを起用して装飾を充実させ、現在の形がほぼ完成しています。

のちに教皇領となった後は、教皇や自治体・国家の施設として使用されました。

マルケザーナ塔・サン・パオロ塔、サンタ・カテリーナ塔、レオーニ塔という4基の塔を持つ口型のコートハウスで、周囲は堀に囲まれ、中央はオレンジのロッジアと呼ばれる中庭となっています。城塞といっても宮殿・官庁・議場を兼ねていて、公爵家礼拝堂やゲーム・ルーム、ギャラリー、ホールなど数多くの施設がもうけられています。

エステンス城

フェッラーラ大聖堂とも呼ばれる サン・ジョルジョ大聖堂

サン・ジョルジョ大聖堂は、城壁内に築かれた大聖堂で1135年に建築されました。フェッラーラの守護聖人、サン・ジョルジョが祀られており、トランセプト(ラテン十字形の短軸部分)を3基持つトリプルクロス形・三廊式の教会堂です。ロマネスク様式をベースに上部はゴシック様式でイタリア特有の回廊(ロッジア)で覆われています。

豪華なファサードと4層のロッジアが美しいサン・ジョルジョ大聖堂の正面

上部に白大理石を使用した西正面(ファサード)には柱が立ち並び、4層ものロッジアで装飾されています。入口の見事な彫刻群とともに荘厳な雰囲気を醸し出していますね。身廊のサイドにもロッジアが見られますが、アプス(後陣)はロセッティによってルネサンス様式に改修されたため、ロッジアはありません。

サン・ジョルジョ大聖堂の身廊

入り口から祭壇までの内部は18世紀に五廊式から三廊式に改築されてました。この時代はバロック様式が流行ったため、豪華なレリーフやスタッコ細工・絵画・彫刻などで装飾されています。

15世紀後半に築かれた鐘楼は建築家レオン・バッティスタ・アルベルティ設計のルネサンス様式で、各層にロッジアとポリクロミア(縞模様)が見られます。

スキファノイア宮殿

スキファノイア宮殿(Palazzo Schifanoia)は、アルベルト5世デステ(Alberto V d’Este)の命により1385年に建設されました。娯楽やレジャーの目的で建てられた建物のひとつで、スキファノイアという用語には、政治的な束縛からくる退屈さから逃げるという意味があります。

スキファノイア宮殿の正面

現在の建物はボルソ・デステの統治下で、1465年に建築家ピエトロ・ベンヴェヌーティ・デッリ・オルディーネによって建てられました。

この屋敷の中の「12カ月の間」は、芸術家のフランチェスコ・デル・コッサとエルコレ・デ・ロベルティによるイタリア・ルネサンス芸術の最傑作と言われています。「12カ月の間」の壁画には、各月を代表するギリシャの神々、12星座、それぞれの月の人々の暮らしが描かれています。

建物のファサードは元々は大理石で装飾され、幅広で明るい色の幾何学模様でデザインされていました。その後、大きなエステ家の紋章とボルソが気に入って自身の紋章にした神話の生き物、ユニコーンが追加されています。

ディアマンティ宮殿(ダイヤモンド宮殿)

ダイヤモンドのような形の大理石がちりばめられています

ディアマンティはダイヤモンドという意味ですが、その名前はこの建物の外観から名づけられています。15世紀後半に建てられたルネサンス様式の建物の外壁には、1万個以上の小さなピラミッドの形をした白とピンクの大理石が埋められています。

このピラミッドの形がダイヤモンドにも見えるのですね。

元々は、フェッラーラ公エルコレ1世の弟によって建てられたエステ家の宮殿でしたが、現在は国立絵画館となっています。

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フェッラーラの中世の面影を残すヴォルテ通り

ヴォルテ通りではアーチのトンネルの上にも住居が見られます

フェッラーラの経済的発展を支えた中世の時代から使われている通りがヴォルテ通り(Via delle Volte)です。名前の由来となっている家と職人たちの仕事場を結ぶ「アーチ形トンネル」の上には、住居も見ることができます。狭い石畳の通りは中世の時代のままの形で残っていて、タイムスリップした気分になります。

フェッラーラの名物、コッピア・フェラネーゼとパンパパート

明確な場所ではありませんが、フェッラーラに来たら行ってみたいのがレストランやお菓子屋さん。フェッラーラならではの名物や銘菓を食べることができます。

変わった形のパン、コッピア・フェラネーゼ

フェッラーラの名物は、変わった形のパン、コッピア・フェラネーゼ(Coppia ferrarese)です。少し変わった形をしていて、端っこがくるくると丸まっています。生地は固めでカリカリとしていますが、特徴のある味というわけではありません。フェッラーラの郷土料理のお店では良く出てきますが、他のイタリアの都市ではあまり見かけることはありません。

貴重なカカオを使って作られたお菓子、パンパパート

チョコレートがコーティングされたパンパパート

また、銘菓としては、パンパパートが人気です。元々は修道院で作られていたお菓子なのですが、当時ヨーロッパに紹介されたばかりだったカカオ(チョコレート)でコーティングされたことで人気がでました。

お店で売られているものには、ナッツやシナモンが入っています。少し甘い気はしますが、記念にお土産として買ってみてはいかがでしょうか?小さなものなら1ユーロくらいから販売されています。

フェッラーラをもっと知るために:フェッラーラと関わりがある人々

せっかくフェッラーラを訪れるなら、フェッラーラに関わりのある人々のことも知っておきましょう。

チェーザレ・ボルジアを兄に持つルクレッツィア・ボルジア

フェッラーラの歴史と深くかかわっている人にルクレッツィア・ボルジアという女性がいます。兄がイタリアの軍人チェーザレ・ボルジアで、チェーザレは小説や漫画の主人公にもなっているので知っている人も多いかもしれませんね。父はロドリーゴ枢機卿で1492年に教皇アレクサンドル6世となっています。

少女時代から絶世の美女と言われたルクレッツィアは、父や兄たちの政治の手段として政略結婚を繰り返します。3度目の結婚で、フェラーラ公アルフォンソ・デ・エステに嫁ぎ、留守がちだった夫の代わりに女城主として活躍します。

フェッラーラ生まれのドミニコ会修道士、ジロラモ・サヴォナローラ

15世紀後半に、ジロラモ・サヴォナローラはフェッラーラの中流階級の家に生まれました。医者であった祖父の跡を継ぐためにフェッラーラ大学に学びましたが、22歳の時にドミニコ会に入信し、修道士となります。

フィレンツェのサンマルコ修道院で修道院長となり、激しい言葉で贅沢の限りを尽くすメディチ家の独裁体制を批判して、信仰に立ち返り人々の暮らしを質素なものに戻そうと市民たちに説きました。

メディチ家をフェレンツェから追放し、神権政治を行っていたサヴォナローラでしたが、贅沢品として工芸品や美術品までも焼却したことから、次第に市民からの反感も買います。最後はついに暴徒と化した市民たちに捕らえられ、広場で処刑されてしまいました。

エステンセ城の前にあるサヴォナローラの像

イタリアに行ったらぜひ立ち寄ってみたいフェッラーラ

まだまだ日本人にはイタリアのメジャーな観光地としては知られていないフェッラーラですが、初期ルネサンス期の美しい建物を見ることが出来るとても素敵な町です。

ベネチアとフェレンツからも1時間程で行ける距離にあるので、ぜひ立ち寄ってみたいですね!イタリアが栄えた華やかな時代を体験することが出来ますよ!

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