嵐山のメインとなる観光場所はどこかしら?
竹林の道や渡月橋が有名だけれど、せっかくなら天龍寺の曹源池庭園はぜひ見て欲しいな!
嵐山観光へ行ったら、竹林と合わせて必ずご案内したい場所、それが世界遺産『天龍寺』です。
メインの建物、『方丈』ももちろん素晴らしいのですが、創建された頃の面影をそのまま今も残している『曹源池庭園』は、四季折々の美しさが楽しめる絶対に訪れたい場所です。
ここでは、『曹源池庭園』を含む天龍寺の歴史と、『曹源池庭園』を作庭した夢窓疎石(むそうそせき)がなにをした人かについて書いています。
『天龍寺』は、通訳案内士試験の過去問(主に日本史)に何度も出題されていますので、形を変えてまた出題される可能性もありますよ。ぜひチェックしておいてくださいね。
世界遺産に登録された『天龍寺』
天龍寺は、1994年12月に「古都京都の文化財」の1つとして、UNESCO の世界遺産に登録されました。
「古都京都の文化財」は、天龍寺を含む17の寺社と城郭が登録されています。
「古都京都の文化財」のリスト
・賀茂別雷神社『上賀茂神社』(京都市北区)
・賀茂御祖神社『下鴨神社』(京都市左京区)
・教王護国寺『東寺』(京都市南区)
・清水寺(京都市東山区)
・延暦寺(滋賀県大津市坂本本町・京都市左京区)
・醍醐寺(京都市伏見区)
・仁和寺(京都市右京区)
・平等院(宇治市)
・宇治上神社(宇治市)
・高山寺(京都市右京区)
・西芳寺『苔寺』(京都市西京区)
・天龍寺(京都市右京区)
・鹿苑寺『金閣寺』(京都市北区)
・慈照寺『銀閣寺』(京都市左京区)
・龍安寺(京都市右京区)
・本願寺『西本願寺』(京都市下京区)
・二条城(京都市中京区)
天龍寺は足利尊氏が夢窓疎石に相談して建てられた寺
天龍寺を建てようとしたのは、誰でしょうか?それは、室町初代将軍の足利尊氏です。
尊氏は後醍醐天皇と協力して鎌倉幕府を倒しますが、後醍醐天皇の『建武の新政』には加わらず、対立してしまうのですね。
そして、尊氏の北朝(京都)と後醍醐天皇の南朝(吉野)に分かれて政治が行われる南北朝時代が始まりますが、劣勢のまま後醍醐天皇は亡くなってしまいます。
後醍醐天皇の怨霊を恐れていた尊氏に、新しい寺を建てて、その霊を弔うと良いと提言したのが、尊氏の相談役として側にいた、臨済宗の僧の夢窓疎石でした。
しかし、長い争いで疲弊していた為、お金がなく、資金を集めるため「寺社造営料唐船」という中国への貿易船を派遣します(天龍寺船の始まり)。
ようやく資金も集まり、無事に天龍寺は夢窓疎石を開祖として、造営されることとなりました。
夢窓疎石はなにした人?国師の称号を受けた庭を造る天才
夢窓疎石は天皇らからも尊敬された高僧
夢窓疎石は、若いころには真言宗や天台宗を学んでいましたが、ある日だるまの夢を見たことで禅宗に目覚め(この夢にちなんで、夢窓疎石という名前に変えます)、京都の建仁寺で無隠円範から禅宗を学びます。
一時は鎌倉で過ごし、後に足利家の菩提寺の1つとなる瑞泉寺を開きますが、鎌倉幕府の滅亡後は、後醍醐天皇に招かれ京都に戻り、『夢窓国師』の称号を受けるほとどなりました。
その後も歴代の天皇からも国師号をいただき、合計7つの国師号を持っています。
国師とは、朝廷から高僧にのみに送られる尊称であり、夢窓は足利尊氏からも絶対的な信頼を得るのですね。
後醍醐天皇がお亡くなりになった後は、天皇の菩提を弔うために、天龍寺だけではなく、全国に安国寺を建立することを足利尊氏に勧めています。
瑞泉寺、天龍寺以外にも多くの寺の開山(寺院を開創した僧のこと)となっていますが、金閣寺と銀閣寺も夢窓疎石が開山です。
もちろん、この2つとも夢窓疎石が亡くなった後に作られているのですが、名前だけ借りたのですね。このように、高僧の名前を借りて開山とすることを『勧請開山』といいます。
夢窓疎石は庭造りの天才
夢窓疎石は高僧としてだけではなく、日本初の作庭家として、素晴らしい庭園の設計をしていたことでも知られています。
天龍寺だけではなく、瑞泉寺(神奈川県鎌倉市)、恵林寺・覚林寺(山梨県)、西芳寺(京都市)、永保寺(岐阜県)などの庭園を設定しており、今でもその多くが国の特別名勝や名勝とされています。
尊氏の弟の直義の問いに答えた法話集『夢中問答集』の中で、禅の教えを述べていますが、その中で、庭造りに、禅の本質を表現し、「山水には得失なし、得失は人の心にあり」と述べています。
本来、山や川には「損」や「得」という概念はない。自然に対して損得を見出す人の心に損得があるのだ。
参照:名言ナビ『山水には得失なし、得失は人の心にあり』
創建時から変わらない曹源池庭園
創建時は、面積が約950万平方メートルと、壮大な規模を誇った天龍寺。
子院も約150あったとのことで、京都五山の1つにも数えられています。
※京都五山・・・五山とは禅宗の保護を目的に格式高い5つの寺院を選んだことで、最初は鎌倉五山が決められました。後に京都五山(天龍寺・相国寺・建仁寺・東福寺・万寿寺)が決められ、両五山の上に別格として、南禅寺が置かれています。
しかし、残念ながら何度も戦災や火災に遭い、当初の建物は残っていません。
現在の法堂、奥の大方丈・小方丈・庫裏・像堂などは、すべて明治時代以降に再建されたものです。
その中で、唯一、創建時の姿を留めているのが、『曹源池庭園』の1部なのです。
曹源池庭園の特徴
曹源池庭園の後ろには、亀山があります。
ここは、後嵯峨天皇や亀山天皇が火葬されている場所で聖地とされているところなんですね。
この後ろの景色を含めて、庭を造ることを『借景』といいます。
『曹源池庭園』の名前の由来ですが、夢窓疎石が池の泥をあげていると、中から「曹源一滴」と書かれた石碑が出てきたためと言われています。
一滴の水も無駄にせぬように、という意味があるようですね。
庭園の中でも、最も魅力とされているのが、石で組まれた滝の部分です(滝石組)。現在は、枯れていますが、以前は水が流れていたそうです。
天龍寺の見学
天龍寺への入り口は2か所あります。
大通りに面した総門と竹林の道の途中にある北門です。
どちらから入っても良いのですが、おススメは総門から北門へ抜けるコースです。
天龍寺で拝観出来るのは、法堂、庭園、庭園+諸堂(大方丈・小方丈・多宝堂)でそれぞれ拝観料が違います。
拝観料が払えるのは①~④の4か所となっています。
法堂のみ:500円(土日祝のみ)
庭園のみ:500円(高校生以上)/300円(小・中学生)
庭園+諸堂:800円(高校生以上)/600円(小・中学生)
時間がない時は庭だけの見学でも良いですが、せっかくなので諸堂の見学もしていきたいですね。
大方丈・小方丈の中と、小方丈から渡り廊下を通って多宝殿の前まで行けますよ。
法堂は、別料金になりますが、1997年に夢窓国師650年を記念して、天井に描かれた加山又造画伯作の『雲龍図』を見る事が出来ます。
まとめ:天龍寺の曹源池庭園を造ったのは造園の天才、夢窓疎石
天龍寺の曹源池庭園と夢窓疎石について、いかがでしたでしょうか。
この記事では、
①天龍寺の開祖は足利尊氏、開山は夢窓疎石
②夢窓疎石は、禅宗の高僧で、日本初の作庭家
③創建時のままの姿を残しているのは曹源池庭園の1部
④曹源池庭園は借景として有名
について書きました。
嵐山を訪れた時は、ぜひゆっくり天龍寺の庭園を散策してみてくださいね。
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